qymfj436さまへ
私があなたへ質問をする時、私の状況で思ったことや起きた事等を思うままに書き、そして私はその事が過ぎてしまえば忘れてしまうのですがあなたはその一瞬の私の事を覚えててくれてありがたいです。
あなたの言葉が理解できない、と私はあなたに訴えましたね。そのときを過ぎて私はすっかり忘れてしまっていました。確かに何度読んでもあなたや彼の言葉が理解できずにいました。今思えば頭の中が雑念で散漫していたのだと思います。あなたが後回しにしていた回答を読んで、私の人生の優等生でいること、と書いてくれましたね。以前にも何度か似たような回答があった事を幾つか思い出しました。私は、あなたが書いてくれていたように知識としては知っている事正しいと信じていることでも、私が嫌な事は体が拒否反応を示すのだと思います。心当たりは充分にあります。親戚に些細な事で一瞬でキレてしまう事が有るという話を笑い話で聞きます。私は滅多に怒ったりする事もありませんし、穏やかなほうだと思っていましたからキレる事は無いと思っていました。が同じ血が通っているので私もいつか突然キレてしまうかもしれないとか、爆発の要素はあるかもと話していました。短気もキレる元だったのかもしれません。お正月の父との喧嘩もそうなのだと気付きました。あなたには私の心のうちを知ってもらおうと我がまま放題に思った事を書きますが、それが私の生活している姿ではありません。二面性があるのではなくて大人ですから私なりに制御出来ていると思っています。ただ、あなたには嫌な事は嫌だ!とぶつかりますからあなたはそのようなイメージを持っているのかもしれないと思っています。あなたが今までの回答の中で書いていた事でもきっとあなたが想像する私のイメージなのかなと思いながら読む事があります。わずか半年足らずで私の人格が変わる事は難しいと思います。私の毎日はあなたの言うように真剣勝負で私が変われば全てが変わる事を信じ、芯から変わりたいと日々願いながら考えながら迷いながら過ごしています。私自身は好い事だと思っていた事も好くなかった事があるのかもしれません。まだまだ短気な私ですのであなたの事が嫌になることも何度も繰り返すと思いますが、何事も動じないあなただそうですから、上手に私を鍛えてくれればと思います。ただひとつお願いを聞き入れてくれるのなら、何度も繰り返される禁止事項がないと良いと思います。あなたのイメージする私にあれも駄目、これもいけません厳禁です、と書くのでしょうが私にはそれが悲しいです。あなたがイメージする私はその様な女性なのかなと思うからです。お願いします。
☆*☆ … 【 天国の荘厳を実現する祈り 】 … P 142 …
私達人間は皆神の子であるのである。 人間は肉体ではないのである。“神の
子” だから霊的存在なのである。 肉体は地上生活を営む為に、私達の霊魂
が霊界から地球という天体に宇宙旅行して来て、ある期間、此の天体に生活
する為の “宇宙服” に過ぎないのである。 肉体の奥に、物質の奥に、此の
宇宙服の奥に霊妙極まりなき霊的存在なる “本当の自分” があるのである。
此の本当の自分は “神の生命”(いのち)其のままであり、“霊” であり、神通
自在であり、常に健康にして、老いず、病まず、無限の寿命と、無限の智慧と、
無限の能力とを自己の内に包蔵するのである。 本当の自分は霊であり一切
の物質的障礙(しょうがい)を超越しているのであるから、常に無限の能力を
発揮して、よきアイディアを現実化することができるのである。 神の内には無
限のアイディアがあるからである。此の世界はアイディアの世界であり新しき
美しき善きアイディアが具体化する時、地上に天国の荘厳があらわれ其れを
創造する者はおのずから無限の富を得るのである。今日ただ今、実相世界の
美と荘厳とが私達家族の身辺にあらわれるのである。 実相世界の美と荘厳
とに、私達は今直接触れ、直接見ることが出来るのである。 誠に心が一転し
て “真実存在の世界” に振り向く時、一切の悪しきもの、暗きもの、醜きもの、
汚れたるものなどは消え去り、見渡す限り、善きもの、明るきもの、美しきもの、
清きもののみが、わが身辺および環境にあらわれるのである。 見よ、我らの
環境の美しきかな。 全ての存在は生命が脈動して光を放ち、輝いて見え、何
処にも死物の如き物質は存在しないのである。 誠に此の世界の一切のもの
は、釈尊が菩提樹下において覚りたまいし時の如く、山川草木国土ことごとく、
神の実現、仏の現成たる世界なのである。山も歌い、川も歌い、草も木も、国
土も、全て “神の生命の歌” をうたう。 山は川を讃えて聳え(そびえ)、川は
山を褒めて潺湲と(せんかん)して流れる。 樹草ことごとく美しき華をひらき、
豊かなる五彩の果実たわわに結ぶ。 天人天鼓(てんく)を撃ち、美しき伎楽を
為し、天女山腹に舞い遊びて、五彩の花吹雪降る。 今、心眼われにひらきて、
此の美しき実相を見る。 眼なきものこれを見ること能わず、眼ありとも、心の
眼ひらからざるものこれを見ること能わず、されど我は今心の眼(まなこ)ひら
きて、此の世界の実相の荘厳を見る。 ああ感謝すべきかな神、ああ讃美すべ
きかな神、われら大神の御前に、跪き、頓首し再拝し奉る。 … ☆*☆ …
☆★☆ … 『彼』 は “生長の家” の創始者ですが彼自身も 「永遠に道を求め
る者」 と言い 「常に研鑽精進が大切」 であると書いています。 今回の貴女の
質問は力が入っている様に感じます。 貴女の心の叫びは永遠に続くかも知れ
ないと思います。貴女は最初の頃と違って、誰かに助けを求める必要が無くな
りつつ有るのだとも思います。 貴女と私の間は、世間話を通じて連繋を保つこ
とが相応しいと感じます。 言葉を換えるならば質問者と回答者ではなく対等に
話し合える間柄、又は空気の様な存在感が大切なのかも知れません。
私は、貴女に “キャリア” の差と表現しましたが、此れは単に年配者と云う意
味では有りません。 人の道の道理や筋道を違えると(たがえる)背いた分に
匹敵した重荷を課せられてしまいます。 私の子供や孫と同じ様に、貴女にも
其のことを理解して欲しいと要求する私です。“「真理の吟唱」” も約三分の一
を残すまでに至りました。 『彼』 の語(ことば)の終了と同時に貴女と、お別れ
すべきかも(潮時かも)と思います。 繰り返しに成りますが貴女次第ですから、
如何なる結論にも私は動じません。 言い訳は致しません。
0 件のコメント:
コメントを投稿